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山口県山岳・スポーツクライミング連盟
&宇部山岳会創立70周年記念海外登山
ベトナム最高峰 ファンシーパン山(3143M)登山
前編(2019年10月31日~11月3日)
宇部山岳会 西村 亘(山口県山岳・スポーツクライミング連盟 顧問)
 
 昭和23年(1948年)9月山口県山岳連盟(現山口県山岳・スポーツクライミング連盟)が創立、昭和24年(1949年)1月宇部山岳会が創立され、この度70周年を迎えることができました。64年間の昭和、30年間続いた平成が終わり、新たに令和の時代を迎えることができました。
 この度の合同登山隊の私達は山岳会の創立とほぼ近い昭和の時代に生まれ育ち、勉学そして与えられ仕事に励みながら登山に没頭しました。あの時代の体力は若干衰えましたが、気力と経験は旺盛で、山を失ったわけではありません。振り返ると山行環境も決して恵まれたものではありませんでした。アルプスとは遠く、登山装備も地方都市では先端を行く機能的な装備の入手は困難で、高価な物でしたが、山行に対しては常に先鋭的な気概を持っていました。
 創立70年記念事業として、古希を過ぎた者或いはこれから迎える者が、懐かしい山行の想いを一つにインドシナ半島で一番高い山で「インドシナの屋根」という異名をもつ、ベトナム最高峰 ファンシーパン山(3143M)に挑みました。
 2019年10月31日~11月7日 (8日間)の遠征でした。11月3日には全隊員登頂し、予定通り7日、福岡空港に帰国することができました。
 参加者(5名) 
 隊長  西村 亘  (山口県山岳・SC連盟顧問 宇部山岳会)
 チーフリーダー  西山 一夫  (山口県山岳・SC連盟副会長 宇部山岳会会長)
 サブリーダー  坂口 仁治  (山口県山岳・SC連盟副会長 周南山岳会会長)
 隊員  山根 正弘  (山口県山岳・SC連盟監事 宇部山岳会監事)
 隊員  河野 邦彦  (宇部山岳会理事)
 
 ファンシーパン山は、日本の富士山(3,776m)より低い。山域はベトナム北部、ラオカイ省とライチャウ省の境で、富士山が霊山としてあがめられているのと同じく、ファンシーパン山もベトナム人には特別の山のようです。
 かつては頂上まで何日もかけて登っていた険峻な山ですが、2016年サパ(SAPA)から山頂直下まで全長6293mのロープウェイが完成し、発点と終着点の標高差が1410mというものすごい規模で、わずか15分で3000mの稜線まで簡単に行くことができるようになっておりました。開通当時はギネス世界最長のロープウェイでした(現在はベトナムのフーコック島に7899.9mのロープウェイ)。さらに、山頂直下のロープウェイの駅から山頂までケーブルカーの乗継により手軽に山頂に立つこともできます。それだけに多くの一般観光客でもサパの町から気軽に登れるようになっておりました。
 勿論、私達は以前から徒歩で登山していた険峻なルートに挑戦しました。
 第1日目(10月31日)
 ベトナムの首都、ハノイから約300km。高速道路と一般道路で約7時間、ベトナム北部ラオカイ省に位置する町サパ(標高1,600m)の登山基地に到着。
美しい棚田風景
 第2日目(11月1日)
 サパからMUONG HOA谷~BANY Y LINH HO~LAO CHAI TAO VANの8時間トレッキング。
 中国との国境にあるサバ町はザオ族、タイ族、モン族など、色とりどりの民族衣装を身にまとった少数山岳民族たちが今でも多く暮らしています。
 19世紀のフランス植民地時代には避暑地として開発されたという歴史もあり、町並みはどこかロマンチックである一方、トレッキングの対象となる世界で最も美しいとされる棚田見学、少数民族との触れあいなどは厳しい生活環境に触れるなどさまざまな体験を満たしてくれる不思議な地域です。
 第3日目(11月2日)
 サパのホテルから車で、HONG LIEN国立公園の登山口チャムトンゲート(1.950m)に到着。
 私達の登山隊は山岳ガイド(Mr.NGUYEN BAC-DAC(グエン・バック・ダオ)28歳…英語通訳)、ポーター3人と私達で9人編成である。政府機関の事務所で入山届・許可書(パミット)の手続きを行う。
 驚いたことに3人のポーターは籠の背負子に水、食料等約30キロを担ぎ、素足でベトナムゴム草履の出で立ちで、先行した私たちを足早く追い越し、確かな足取りで行く姿は子供の頃から鍛えられた少数山岳民族である。お陰で私達は寝袋、マット、雨具、衣類等の個人装備の10キロ程度のザックである。
 小雨の中、雨具を着用し、溪谷沿にアップダウンを繰り返し、急坂もあり2200m小屋(キャンプ1)まで3時間の登行である。先行したポーターにより昼食(パンにサラミ、肉、野菜を挟むサンドイッチであるベトナム・バイミー、パイナップル等の果物)が用意された。綺麗な小屋の中の昼食と休憩は新たなエネルギ―を生み、宿泊予定2800mの小屋(キャンプ2)への順調な出発となった。
 相変わらずの小雨で、殆んど視界、展望が期待できないガスの中の急坂、鉄ハシゴの続く登行である。時折、下山登山客に出合うが、多くはヨーロッパ人である。
 3時間30分かけて、3棟ある立派な山小屋に到着し、私達5人のために、山小屋にしては立派な鍵付きの個室が提供された。
キャンプ2に到着
 しかも小屋内部に水洗トイレがあり、充分なベトナム料理と山岳ガイドからのホットワインの差入れが雨に濡れた体を温めてくれた。ビール(1本50,000VND=250円)も買い求め、異国の山小舎の一時を楽しむことが出来た。
 少し星が見えたが、夜半には天気が回復してないので、明日は4時出発の御来光山頂を諦め7時出発をガイドと確認し、提供された充分な銀マットと寝袋を重着し、不思議な異国の世界の眠りについたが、お陰様で朝方の冷え込みもしのげることができた。
 第4日目(11月3日)
 必要最小限の登山装備で、寝袋等は小屋にデポ(残置)した。3人のポーターはこれから先へは同行せず、小屋での待機となる。
 相変わらずの小雨の中、雨具を着て、いよいよ山頂への挑戦である。今は雨季と聞くが、それでも晴れ間を期待して、雨と粘土質の滑りやすい土と岩、長い鉄梯子、ガレ地帯を登行し続けると2時間でロープウェイ駅の稜線に出た。
 何と立派な駅、まるで野球ドームのような建物である。中に入ると3000mに建つとは思えない観光施設である。一瞬苦労して2日間かけて登ったことに違和感はあったが、ロープウェイ利用の観光客の中にあって、泥と雨にまみれた登山姿は私達だけであり、少し誇りにも感じる充実感もあった。それから山頂までは、観光施設として2017年に完成した想像もつかなかった壮大な仏教施設が延々と続く。600段を超える階段を登ると観光客で溢れるファンシーパン山の山頂である。
 所せましの山頂での登頂写真を撮るのは至難の業である。それでも、歩行登山した私達には、山岳ガイドから「ベトナム社会主義共和国の個人名宛てのCERTIFICATION(登頂証明書)とメダル」が交付された。
 今日は、2800mのキャンプ2を経由して、一気に宿泊予定地の2200mのキャンプ1まで下山予定である。少しずつであるが晴れ間が見え出したが、長居は出来ないので再び登山道に入る。
 急な傾斜を慎重に下ると、オーストラリア、ドイツ、マレーシア等の数パーティに出合うが、最後まで日本人に会うことはなかった。
 予定通り昼過ぎには、ポーターの待機するキャンプ2に到着、用意されたバイミーの昼食を取り、デボした荷物を整理し、再びキャンプ1を目指して下山である。晴れ間も見え、天気回復の中を、ファンシーパン山の全貌、ラオス、中国の国境の展望を楽しみながらの下山である。一日の長い行程を終え小屋へ到着である。
 夕食はあり余るベトナム料理と果物、差し入れのワインで、腹と心の満足感で深い眠りに着くことができた。
登頂写真
山頂表示塔
ベトナム社会主義共和国発行の登頂証書
(文、写真:西村亘)
後編(2019年11月4日~11月6日) → 
 
      
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