へのリンク
別子の山々を訪ねて(西赤石山)
兜岩から眺める西赤石山北面のアケボノツツジ
日 時  2017年5月16日
山 域  愛媛県新居浜市赤石山系
天 気  晴れ時々曇り
メンバー  斉藤(宗) 三浦(比) 斉藤(滋) 会員外(Ks)
行 程  5月15日
 宇部自宅(7:00)~山陽道・しまなみ海道・松山道~県道47~
新居浜市別子山公民館~ゆらぎの森散策~山荘 泊

 5月16日
 山荘(6:05)~日浦登山口(6:15-6:25)~ダイヤモンド水(7:20)~
第一通洞南口(7:40)~銅山越(8:20-8:30)~西赤石山(10:15)~
兜岩(10:35-11:00)~西赤石山(11:25-11:50)~
銅山越(13:15)~蘭塔場(13:55)~日浦登山口(15:20)~山荘 泊
 2010年、初めて西赤石山を訪れた時、新居浜市別子山支所に勤めておられたJyさんから事前に様々な登山情報を頂いた。赤石山系の山々を知り尽くしておられ、翌2011年に東平から登った時も電話でアドバイスを頂き大変お世話になった。いつかお会いしたいと思いつつ時が過ぎ、2年前の暮れご主人様からの年賀欠礼状でJyさんが亡くなられたと知った。ご恩返しできないままの別れだった。いつかもう一度別子山を訪れ、Jyさんを偲びたいと心に秘めていたが、今年の春ご主人のJさんから思いがけないお誘いを頂いた。
 東赤石山に登る事があれば、Jさんが管理を任されている山荘があるので泊まっては、というお話だ。いつか東赤石山にも登ってみたいと便りのやり取りで記したのか、まさかこんな有難いお誘いをいただけるなんて。その後「いつ来られますか?」のお電話まで頂き、お言葉に甘えてアケボノツツジの開花期にあわせて宿泊をお願いする。
 月曜~土曜日と長期滞在の厚かましい願いにも関わらず「別子山でのんびりと過ごしてください」と快くOKして頂ける。初めて訪れた時のメンバー2名も加わり後は出発の日を待つばかりだ。
 5月15日
 今日は移動日、車の後部座席でついウトウトしてしまう。トイレ休憩で、とあるパーキングエリアの案内板を見て「うっそう!!」と思わず叫ぶ。慌てて見た腕時計は間もなく11時・・・間違いない!! 「しまなみ海道に入り損ねたんじゃない!!」でびっくり顔のメンバー3人。既に岡山県に入っている。即降りたくても降りられないのが高速で仕方なく笠岡ICまで行きUターン。運転役の○さんは前しか見てなかったと平謝りだが、助手席にいながら気づかないMは迷ナビゲーター? 私がウトウトの間どんな話で盛り上がっていたんだろう? 登山届提出に《行き帰りの道中も含めて気をつけて》の江本さんの返信メールが思い浮かび思わず苦笑。まぁよかった。早め(?)に気づいて。誰かがトイレ休憩と言わなかったら瀬戸大橋経由になっていたかもしれない。

 新居浜市内で食料を買い込み、Jさんとの待ち合わせ場所である別子山公民館に急ぐ。仕事を早めに切り上げられたらしく約束の30分前には来られ初対面の挨拶を交わす。宿泊する山荘に向かう前にゆらぎの森に案内して頂く。初めて知ったハンカチの木の花やクマガイソウの群落が珍しい。テレビ番組グレートトラバースⅡで田中陽希さんが宿泊したゆらぎ館もここにある。またJさんがボランティアで子供たちに教えておられる炭焼きの立派な窯も見せて頂く。
クマガイソウ
 Jさんの軽トラを追って細い山道を登って行く。山荘は銅山川を挟んで東赤石山と対峙する山の中腹にある。Jさんの知人の所有(個人)だが30人は泊まれるとの事、4人で貸し切りとはこの上ない贅沢だ。台所、風呂、トイレ付でまるで別荘に来たよう。取り敢えず明日は西赤石山に登ってみよう。
赤石山系を背景に森に囲まれて建つ山荘(20日朝、撮影)
 5月16日
 簡単な朝食を摂り日浦登山口に急ぐ。住友財閥発祥の地として栄えた別子銅山の遺跡を巡るのも今回で4度目、接待館の煉瓦塀や劇場跡の石垣・・・何度見ても見飽きない。
 ダイヤモンド水で喉を潤し、しばらく進んで分岐を右に取り橋を渡る。第一通洞南口に立ち寄ってみよう。案内板によれば一時期この辺り一帯が銅山の心臓部だったとの事、今は全くひと気の無いこの場所で大勢の人が働き住んでいたとは想像もつかない。この山全体が遺跡の宝庫なんだ。
 第一通洞南口 明治26年に、ここまで鉄道が敷かれた
 銅山越に登り着く。Jyさんのお参りは銅山越でと言われていたのでみんなで合掌。と電話で話した時のJyさんの声が甦る。今ここにJyさんは居る。やっと会えた・・・そう思えた時、急に何かが込み上げてくる。本当に有難うございました。

 銅山越を後に花の尾根道を行く。ミツバツツジ、ツガザクラ、ヒカゲツツジ、ヤマザクラ、お目当てのアケボノツツジも現れる。が残念な事に生憎の曇り空。スカッと青空だったらもっと綺麗に咲いて見えるだろう。
ヒカゲツツジ
 地味な西赤石山の山頂をスルーして兜岩に向かう。
 前回(2015年)はいじわる台風で花が散り悔しい思いをしたが、いま目の前に広がる西赤石山北面にはピンクの花模様が浮かんでいる。2011年の時程ではないが、まずまずのアケボノツツジの光景だ。この風景を紹介した山岳雑誌のコーピーも送ってくださったなぁ・・・Jyさんは。
絶好の展望台だが兜岩は足元注意!!
兜岩からのアケボノツツジの群落
 しばし花の風景を楽しみ兜岩を後にする。急斜面を登り返し西赤石山山頂で昼食を摂る。昨晩ご飯を炊いて作ったおむすびは冷めていても美味しい。同じ釜の飯とはこの事か、同じ物を食べている親近感でなぜか美味しさがアップ。さぁお腹が満足したらそろそろ出発だ。
 ところで銅山峰ヒュッテのおばちゃんはお元気だろうか? 1人で切り盛りして登山者のため頑張っておられたが。残念ながら今回はコース外で立ち寄れない。前回ご馳走になった美味しいお抹茶が思い浮かぶ。 
銅山越まで主稜線を下る
 銅山越まで往路を辿ったが違う道で帰るとしよう。歓喜坑を過ぎ 暫らくして左岸から右岸に渡り蘭塔場(殉職者が祀られている)に立ち寄る。何時も縦走路から眺めていたが一度訪ねてみたかった。周囲を緑に囲まれたこの場所で沢山の魂が静かに眠っている。お参り出来てよかった。さぁ急いで山荘に帰ろう。今日はJさんと一緒に夕食だ。
左岸から右岸に渡り蘭塔場に向かう
 約束の6時、Jさんがホウの花と地元特産(?)の大きな柑橘をお土産にニコニコ顔で到着される。さっそく囲炉裏を囲んでのバーベキューが始まる。炭は勿論Jさんの手作りだ。お若い時は主に谷川岳と穂高で岩登りのガイドをしておられた事、船で(ケープタウン周り)ヨーロッパに渡りアルプスの岩壁を登られた事、その後シベリア鉄道経由で帰国され退職覚悟が休職扱いになった事など話される(そんな凄い話もこちらがいろいろと訊き出して分かった事で、謙虚なお人柄が偲ばれる)明日もいつも通り林業のお仕事に行かれるという。話は尽きないが夜更かしも程々に休むとしよう。田舎の山道におまわりさんはいないだろうが《飲んだら乗らない! もちろん乗せない!》今夜は山荘に泊まっていただこう。 
( 文:斉藤(滋)  写真:斉藤(宗) 斉藤(滋) )
別子の山々を訪ねて(東赤石山) →
Copyright(C) 2004 Ube Alpine Club All rights reserved.
SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu