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四国の山旅(剣山~次郎笈~高ノ瀬~白髪避難小屋)
 
 
 シコクザサの稜線を行く
 
 
日 時  2021年10月13日~14日
天 候  13日 曇り  14日 晴
メンバー  斉藤(宗)  斉藤(滋)  田中(山口山岳会)
行 程  10月13日
宇部自宅(3:05)~山陽道~瀬戸中央道~三好市東祖谷西山林道登山口(12:05ー12:20)~タクシー~見ノ越(13:50ー14:05)~リフト~西島駅(14:25ー14:35)~剣山頂上ヒュッテ(15:25)泊

 10月14日
剣山頂上ヒュッテ(5:55)~剣山山頂(6:10)~次郎笈(7:25)~丸石(9:05)~高ノ瀬(12:05ー12:55)~1732P(14:50)~白髪避難小屋(17:30)
 コロナ非常事態宣言が解除され、大海山の常連さん達も、あちこちの山へと慌ただしい。我が家も登りたい山は沢山あるが心の準備ができていない。そこで未知の山への挑戦は諦め、2年前天候不順のため中止した剣山~三嶺~天狗塚縦走を思いつく。
 前回縦走から早10年、体力低下に不安はあるが、もう一度あのたおやかな笹原の稜線を歩いてみたい! そして再び三嶺、天狗塚の山頂に立てたら最高だ。大海山常連仲間の田中さん(山口山岳会)も急遽仲間入りとなり心強い。
 10月13日
 午前3時、徳島県三好市祖谷渓を目指し出発する。昼前、現地に到着し予約していたタクシーと合流、縦走の下山地となる西山林道駐車地に向かう。林道は台風で荒れたと聞いていたが先行のタクシーに必死に付いて行く。車底を擦らないよう脱輪しないよう助手席に座っているだけで疲れてしまう。やっと駐車地に着きデリカをデポ、忘れ物が無いか入念にチェックし、タクシーに乗り込む。
 いよいよ登山口の見ノ越へと出発だ。登り同様下りも悪路、どうにか一般道近くまで下りホッとしたその時! 「ハッと」悪い予感・・・慌てて「登山靴に履き替えた!?」とMに訊く。次の瞬間「ん・・・」呆然と足元を見るM。ウッソー! 信じられない! まさかのつっかけ・・・。 田中さんと運転手さんに平謝りし直ちにUターン。田中さんと私は道中で履き替えたが、運転のMはそれは出来ない。タクシー代が予定額10000円+3700円に跳ね上がったが文句も言わず悪路を引き返してくださった運転手さんに感謝!感謝! もっと早く気付けば良かったが見ノ越に着く前だったのが、せめてもの慰めだ。

 一波乱あったがようやく剣山の登山口見ノ越に到着。ここから西島まで体力温存のためリフトに乗る。膝に抱えたザックが重い。係員さんに助けられリフトを下り背に担ごうとするが重くて中々担げない。13㎏オーバーなんて何年振りだろう。膝痛が再発しない事を祈りながら頂上ヒュッテに向かう。誰かの大ドジで心配したが程々の時間にヒュッテ到着、まずは宿泊手続きをする。10年前に受け取ったサービス券(3枚)を提示すると3人共500円引きとなりラッキー(ビール飲んで帳消しだが) 夕食前に入浴し(かけ湯程度)、揚げたてのアマゴが美味しい夕食に満足し、明日に備え早めに就寝する。(炬燵でぬくぬくと)
ご馳走が並ぶ夕ご飯
 10月14日
 身支度を整え朝一(5時半)で朝食を済ませ早々にヒュッテを出発、間もなく着いた剣山山頂はガスのため視界ゼロ。今回はリフトで上がったせいか、いまいち登頂の実感がない。あれ程待ち望んだ本番なのに、ふと5年前の《船上山~大休峠~川床縦走》の大苦戦が甦る。これから向かう長い縦走路、前回から10年という歳月が重く圧し掛かって来る。頑張らなければ・・・。
 最初のピーク次郎笈を越え丸石に向かう。ようやくガスが流れ晴れ間が覗いて来る。緑の笹に覆われた稜線に枯れた木が立ち並ぶ景色(白骨林)、縦走初挑戦の田中さんは「大台ヶ原より凄い」と感激の様子だ。大台ケ原未経験の我が家だが、この景色を見たくて再び訪れた事は確かだ。
ガスに包まれる白骨林
丸石への長閑な稜線
 丸石に到着し三角点にハイタッチの田中さん。振り返れば太郎と次郎がお見送りだ。ゆっくり眺めていたいが、まだまだ先は長い急ぐとしよう。
丸石山頂 左剣山、右次郎笈
 痛み止めが効いたのか膝痛は今のところ大丈夫、ザックの重荷も感じない。ところが前を行くMの様子が変だ。何かを堪えるように時々立ち止まってしまう。どうしたんだろう? 訊けば腰が痛い.と言う。心配していた事が起こったのか? Mの荷(60Lのザック)は15kgはあるだろう。自宅で量り心配したがやはり無理だったか・・・。もっと荷を減らしたかったが山中3泊(避難小屋2泊)とあって寝袋、マット、炊飯具、防寒着、ランプ・・・どれも必要で減らせない。普段、荷を担いでいなくても遠征本番ではいつも強かったM、今回も多分大丈夫だろうとついつい思ってしまった。どうしよう・・・。10歩進んでは立ち止まってしまうM。《痛いんだろうな・・・》と気遣っていながら「普段からちゃんと荷を担いでいないからよ!」と厳しい言葉が飛び出る。
 地元の大海山登山でも最低の必要品は持つ私と違いMはいつも雨具、弁当、お茶、作業道具のみ。思わぬ事態に動揺し「毎日の積み重ねの結果よね」と更に酷い言葉で追い打ち・・・。自責の念に駆られながら途方に暮れる。
 このままでは予定の白髪避難小屋まで行き着けない。Mのザックから重そうな物(飲料水、食料の一部)を取り出し袋に詰めて自分のザックに括りつける。痛がる右腰に大判の湿布薬を貼り、痛み止めを飲んで貰う。薬が効く事を祈りつつ再び歩き始める。前回余裕で登った高ノ瀬の登りのなんと長い事か。逆《く》の字型に体を大きくよじって進むMの痛々しい姿を見るのが辛い。アミノバイタルを差し出しいろいろ気遣ってくれる田中さんの優しさだけが慰めだ。
高ノ瀬目指して
 やっとの思いで高ノ瀬に着き大休止。目の前に姿を現した三嶺(四国一、美しい山と言われる)が何よりの励みだ。ここまで来れば何とかなりそう・・・。心配で昼食のおむすびが中々喉を通らない私なのに二つとも平らげたM、不調は痛みだけのようだ。白髪避難小屋まで何とか頑張って欲しい。
+α を背負って頑張る
 鎮痛剤は全く効かないらしい。逆《く》の字の角度が益々酷くなったMのペースが更に落ちる。不自然な体型を直そうと体に触ると「アッ!痛い痛い! 」と悲鳴を上げ苦しむM。ウサギと亀の話ではないが、亀の速度でもいいから進んで欲しいと願いながら1732Pまでやって来る。
 15年前、ガイド本の1枚の写真が私を惹きつけた。広大な緑の笹原の向こうに聳える秀麗な三嶺、まさにこの場所だ。あの写真と同じ光景の中にいるのに夢を見ているのか・・・ならば覚めて欲しいとぼんやり思う。初めての田中さんが「素晴らしい」と言っているのが救いだ。M には悪いが「凄い景色じゃろう! この景色に憧れたんよ」とはしゃぎたかった。今は焦りの気持ちでそれどころではない。
1732Pから三嶺を望む
 時間がどんどん過ぎて行く。不安が現実になって来た。避難小屋まで行き着けないかも・・・。最悪ビバークを覚悟する。《パーティーが分かれる事は絶対反対》の私だが田中さんまで巻き込みたくない。この先、小屋までコースはしっかりしているので先行して貰い余裕があれば水場まで下って汲んで欲しいと頼む(ヒュッテの話では白髪小屋泊りは他におられるらしい)
 激痛(の様子だった)に耐えるMを励ましながら時間との闘いが続く。途中単独行の男性2人に追い越される。平和丸ピークを過ぎても稜線は延々と続いている。少しでも腰にかかる重みを何とかしたいとMのザックから再び荷を取り出し、これ以上括りつけられないのでナイロン袋に入れ、手に提げて歩き始める。辺りが薄暗くなり始め不安に押しつぶされそうになりながら、カーブした山道を下ると見えた!!! 見覚えのある白髪避難小屋だ。
白髪避難小屋に辿り着く
 田中さんは無事着いているだろうか? 居た! 若い男性とこちらに向かって来る。助かった! 
 
( 文:斉藤(滋) 写真: 斉藤(宗) 斉藤(滋) )
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