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四国の山旅(白髪避難小屋~三嶺~西熊山~天狗塚)
 
 
 広々とした笹原を行く
 
 
日 時  2021年10月15日~16日
天 候  15日 晴  16日 晴
メンバー  斉藤(宗)  斉藤(滋)  田中(山口山岳会)
行 程  10月15日
白髪避難小屋(7:50)~三嶺(11:55ー12:40)~ 西熊山(15:40)~オカメ岩避難小屋(16:30)泊
 10月16日
オカメ岩避難小屋(5:50)~ 天狗峠(7:15ー7:25)~ 天狗塚(7:55ー8:05)~ 天狗峠(8:30ー8:40)~西山林道登山口(10:40)~しまなみ海道経由で帰途につく
 10月15日
不安な一夜が明ける。パン、スープ等で朝食を終え、明るくなってまずは水汲みに。昨日、小屋に到着した田中さんはテント泊りの若者(途中追い越された単独行の1人)の協力を得て必要な水を確保してくれていた。若者も初縦走らしいが足場の悪い危険な斜面を下り、やっと見つけたという水場まで田中さんを案内してくれたそうだ。その上、我が家の事情を聞き迎えに来てくれるつもりだったらしい。感謝してもし尽せない。
 実は私も日没前に一人で水場に向かったが10年前よりかなり足場が悪くなっていて、耳も遠いため水音をキャッチ出来ずに引き返した。今朝までの水は十分あったが今後の行動には不十分、Mに留守番を頼み出かける。昔の記憶を辿りながら急なガレ場を下り難所をトラバースすると、やっと十分な流れに行きつく。昨日の水場はチョロチョロとしみ出る程度だったらしく田中さんは大変だったと思う。ペットボトルに4L確保しサブザックで運ぶ。予定よりかなり遅くなったが、親切な若者に心から感謝の意を伝え三嶺目指して小屋を後にする。

 今日もMは痛そうだが、覚悟をしてたのだろう(三嶺を越さないと帰れない)超スローペースながら立ち止まる事なく登って行く。カヤハゲの登りにかかると、さっき別れたばかりの若者が追いついて来て抜いて行く・・・と思ったら突然立ち止まり「ご相談があるのですが」と切り出した。何事?と思ったら「カヤハゲの頂上まで僕にそのザック(Mの)を担がしてください」と信じられない言葉! もちろん辞退したが、その優しい気持ちは3人をどれほど力づけ、幸せにしてくれた事だろう。
 思わず個人情報…とかなんとか煩い世情だが「失礼ですが、お名前とご住所教えていただけませんか?」と厚かましいおばさんは迫ってしまった。四国の某大学の大学院の方だった。「ゆっくり行けば大丈夫です。有難うございます」と恐縮するMを、何度も気遣いながらKさんは爽やかな風を残して去って行く。
カヤハゲを越えてもまだまだ遠い三嶺山頂
三嶺への急登 背後は歩いて来た稜線
 標準タイムの倍の時間がかかったが、ついに三嶺山頂に立つ。珍しく握手を求めたM、まずは憧れの山頂に立ち笑顔の田中さんと(感謝の思いを込めてだろう)ついでに私にも(ようまぁ、ぼろ癖に言ってくれたよなぁ・・・かも)とにもかくにも本日の山は越せたとホッとしたのだろう。だが私は違う。おとぎ話の風景のような草原に建つ山頂小屋、西熊山へと続く緑の絨毯のような稜線・・・思わず歓声を上げた過去3回のように今は、はしゃげない。Mの痛みはどうなのか? ここから名頃に下るべきか、それともオカメ岩避難小屋に計画通り進むか・・・。
 悩みをよそに休日でも無いのに山頂は多くの登山者で賑わっている。名頃からの日帰りか皆さん軽装だ。折しも山頂標識が標高1893mから1894mに架け替えられ中で、偶然居合わせた幸運(?)を喜ぶようにみなさん盛んにシャッターを切っている。落ち着かない場所でのランチタイム(適当に行動食を口にしただけ)を終え意を決して立ち上がる。名頃に下るよりオカメ岩避難小屋に進む方が時間的に短いし、デリカのデポ地を思うと尚更だ。
三嶺山頂を後に、西熊山、天狗塚へと続く稜線を行く
 目指すオカメ岩避難小屋まで、普段の体調なら3時間位で行ける筈だが、暗くなる前に着けばいいと焦らず行く事にする。ガイド本による《360度の大パノラマが広がる四国一の縦走路》を今進みながら目の前のMだけを見つめて歩く。痛いだろうに時々カメラを取り出す姿に「写真撮っちょる暇なんてないじゃろう」と言いたいが撮れる余裕が出て来たのかなと少し安堵する。
 シコクザサの笹原から一旦下り大峠に到着、さぁ今日最後のピーク西熊山への登りが始まる。三嶺ほどの急坂は無いがとにかく長い。我慢しているMの痛みを感じつつ一歩一歩進むしかない。小屋にさえ着けば後は何とかなる。後少し頑張って欲しいと祈る。
笹の斜面をトラバース
 修復されて間もない赤い屋根が見えた。縦走路から少し下った所に建つオカメ岩避難小屋、10年ぶりの再会だ。戸を開けて入った土間には立派なストーブ、昔のままだ。収容人数30人の綺麗な小屋を3人占め、広々とそれぞれ陣取る。「素敵な小屋ですね~」と嬉しそうな田中さんだが、まずは水汲みにと声をかける。
 カンカケ谷側に50mも下ればたっぷりの水が溢れていた筈、だが怪しい雰囲気だ。三嶺の山頂で得た、カンカケ谷経由で登って来たパーティーからの情報では水はあるがチョロチョロ程度との事。チョロチョロでも有りさえすれば・・・と下って行くが見つからない。予感していたが昔の水場は完全に姿を消している。150m位下っただろうか? ようやくチョロチョロよりもっとか細く滴り落ちる水を発見、カップに溜めてはペットボトルに移していく。よお~し、夕食はたっぷり水を使いご馳走を作ろう。
オカメ岩避難小屋に到着
 明日は昼までには下山、ありったけの食料を並べてみる。ハム、ソーセジだけで4パックと1本、ロールパンが2袋・・・田中さんが呆れている。戦後の食糧難時代に育ったせいか、Mの持病もあって食料不足だけは嫌だといつも持ちすぎてしまう。
 粉末のマッシュポテトに胡瓜と林檎を加えポテトサラダを作り、大海山の常連さんに頂いたビーフシチュー(ドライフーズ)に湯を注ぐ。熱々に焼いたウインナーも美味しい。が残念、今夜の為に用意した清酒《菊水》は重いからと昨夜飲んでしまった。仕方ない、お茶とコーヒーで我慢しよう。
 10月16日
 6時前、まだ薄暗いオカメ岩避難小屋を後にし、天狗峠までの急坂をゆっくりと登って行く。陽が昇り始め照らされた笹原が黄金色に輝いていく。だが要注意!所々コースの左側が切れ落ちていてバランスを崩せば一大事、気を引き締め進んで行く。
 やっと登り着いた稜線の分岐はガスの中、念のためシルバコンパスを取り出す。次に現れた分岐が天狗峠、ここを右に下ればデリカが待つ西山林道駐車地だ。直進すれば縦走最後の目的地天狗塚へ。Mに待って貰い田中さんと2人でピストンか・・・いや、それはちょっと寂しい。ザックを茂みにデポしMも行く事に。腰への負担が無くなって別人のように飛ばして行く。
ガスに浮かぶ天狗塚
 なんと標準タイムで山頂着だ。生憎のガスで視界ゼロ、スッキリしない山頂だが私の心はスッキリ、笑顔で握手を交わす。嬉しい!!(こんな天気なのにごめん! いろいろ迷惑かけたけど本当に有難う、田中さん!) 
天狗塚山頂
 天狗峠までも標準タイムで引き返す。三嶺の山々に別れを告げながら雑木林を下っていると、女学生3人パーティーとすれ違う。3人組はオカメ岩避難小屋で1泊し三嶺まで縦走、名頃に下山するそうだ。こんな若い人達より長い距離を歩いて来たんだなぁ・・・身も心もヨレヨレだったのに、なんだか力が湧いて来る。さぁ、あと一頑張り、下山口はもうすぐだ。
女学生パーティーと出会う
 帰宅後に
 かかりつけの整形外科で精密検査を受けたM、腰椎の疾患(初期?)と診断された。重い荷物を担がない大海山には復帰できたが、3ヶ月後の検査まで湿布薬と飲み薬で様子をみる事に。一方、Mに酷い言葉を浴びせてしまった私は神様が懲らしめようと思われたのか、大海山で滑って杭で腰を強打、骨折は免れたがMの痛みを身を持って知る事に。
 《剣山~三嶺~天狗塚縦走》 終わってみれば計画通り歩いているが、喜んでばかりはいられない。同行の田中さんには大迷惑をかけてしまった。厳しくも思い出深い4日間、忘れる事は無いだろう。
 
( 文:斉藤(滋) 写真: 斉藤(宗) 斉藤(滋) 田中 )
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