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紅葉を訪ねて(大山)
 
 
元谷の紅葉
 
日 時  平成30年10月24日
天 気  曇り時々晴れ
メンバー  斉藤(宗)  斉藤(滋)
行 程  10月23日
 蒜山宿(11:35)~ 蒜山大山スカイライン ~ 大山環状道路 ~ 大山ホテル 泊
 10月24日
 大山ホテル(6:50)~ 南光河原駐車場(7:00-7:20)~ 弥山山頂(10:45-11:40)~ 6合目避難小屋(13:00-13:10)~ 行者コース分岐(13:23)~ 元谷(14:12)~ 大神神社(14:52)~ 南光河原駐車場(15:27)
 10月23日
 ゆっくり過ごさせて頂いた《さかた》を出発し大山へと向かう。
 紅葉の大山環状道路のドライブは生憎の雨模様。大山寺から少し下った森の中のホテルに到着する。「大山に行く時は知らせて」と言っていたN(娘)が予約してくれたホテルだ。Nから聞いていた真っ白な大きなワンちゃんが出迎えてくれる。
 
紅葉の大山環状道路
 夕食は6時からと言われ、気楽にレストランに行くと「スリッパ、ツッカケはご遠慮ください」の立札、エッ! 2人共ホテルのスリッパだが・・・車に帰ってもランニングシューズ、ツッカケ、登山靴しかない。事前にNに「ズックでもいい?」と一応訊いたが「えーいね。登山者も泊まるホテルじゃけん」と確かに言っていたよね。今さらどうしようもなく、お世話係の女性に小声で告げると困ったような顔をされ「見なかった事にします」と席に案内される。着席後チラッと隣を見ると女の方は、ハイヒール(私なら絶対こける)男の方はネクタイ。我が家ときたらTシャツ、登山シャツと揃いもそろってラフな服装。穴があったら入りたい・・・。
 数日前の車山のホテルではずらっと並んだナイフ、フォークを前に「僕は箸が得意です」とサラリと言って箸を受け取ったM。とてもじゃないが今日は言えない。「足が見えんよう気ーつけーや」と言ってはみたが、自身のTシャツは隠しようがない。今日で2人合わせて正真正銘150才、誕生日のいい(?)思い出になりそうだ。
 10月24日
 弥山まで夏道を登るだけとはいえ我が家にとっては難コース、覚悟の朝を迎える。若い頃は船上山からの縦走や、川床から入山、大休峠を経て最後に頂上縦走は当たり前の事だった。しかし2年前の秋、船上山から川床まで縦走したものの心身共にヨレヨレに疲れてしまい、あの時受けたダメージがいまだに尾を引き、夏道といえども油断出来ない心境だ。
 ホテルの朝食をお弁当にして貰い登山口に向かう。ゆっくりと登るためには時間の確保しかない。
 
ワンちゃんに見送られ出発
 南光河原駐車場はここで夜を明かされたのか、朝ご飯中の方が結構おられる。そそくさと支度を整え出発する。
 夏道を登るのは前回から10年以上経っている。「5時間かかって登れない時はそこから引き返しよ」とコースタイム×1、5の覚悟で登り始める。しかしMは制限時間を忘れてしまったのか10m登るたびに立ち止まってしまう。無理もない、今まで蓼科山、霧ヶ峰、氷ノ山、毛無山と紅葉の山旅を続けて来たが、どの山にも劣らない光景が次々と途切れる事なく現れる。カメラを手に互いがモデルで5時間の事はすっかりと忘れてしまっている。晴れていなくて良かった(?)ガスっていなければもっとノロノロになってしまうだろう。
 
ガスの中でも鮮やかな紅葉
 6合目の小屋で一息入れ登り続ける。記憶によれば段々と視界が開け雄大な弓ヶ浜が見える筈だが山頂近くを覆う生憎のガス、辺りはモノトーンの世界と化している。
 木道に導かれながら10m先のMを追っていると、早くも下山中の数人から「頑張ってください。後少しですよ」と声がかかる。足が重く前に出ない。きっとみなさんの眼には声をかけずにはおられない程のヨタヨタ姿なのだろう。「後、少し・・・」に力を貰い頑張る事しばし、遂に山頂小屋が現れる。時計を見れば、信じられな~い!! 出発から3時間半しか経っていない。途端に疲れがどっかへ飛んで行く。Mイワク「昔に比べ、登山道が整備され、登り易くなったからじゃないか」そうかもしれない。持ってる登山ガイド地図は古くデーターも昔のまま・・・。とにかく登れてよかった。ガスで何も見えないが記念の写真を撮って、ひとまず避難小屋へ。
 避難小屋の中は広くて大勢の人が休憩中だ。若い頃、厳冬期の縦走を終えやっと小屋に辿り着き煙突に付けられた梯子を伝って入ったのはこの小屋? いや、建て替わっているだろう。あの時の小屋はこれ程広くなかったし、もっと簡素だった気がする。
 売店まである小屋で腰を下ろしお弁当を開けるとは有難い。「おむすび3個、多い」と言っておきながら気分上々で2人共完食、登頂出来た安堵感+喜びの表れだ。
 
姿を現した南壁
 下山の前もう一度山頂へ。ガスが晴れ青空が広がっている。姿を現した縦走路と南壁の険しさに思わず息をのむ。いくら崩壊が進む前だったとは言え四季を通じて、あちらから、こちらからと頂上縦走した自分(20代~30代の頃)を凄い!!と褒めたくなる(いや、凄いのはこんな私を無事縦走させたリーダー達、ちなみにMとは秋に一度だけ)夏道からの登頂にも覚悟がいる今だからこそ思う。若い時、経験出来て良かった!と。貴重な体験をさせて貰った先輩達に改めて感謝の思いが湧いて来る。 

 登りはガスで見えなかった北壁を眺めながら下山する。厳冬期の北壁登攀は毎シーズン報告されるが、その舞台を目の当たりにして「こんな所を? 信じられ~ん!」と思わず口にする。険しい尾根と尾根の間にガスが湧いている。
 
ガスが湧く北壁
 6合目の避難小屋を過ぎ5合目分岐からは行者コースを下る。
 昔は避難小屋から元谷に向けていっきに下っていた(積雪期の尻セードが楽しみだった)と思うが勘違いだろうか? (崩壊したため現在のコースに替わったらしい)元谷へはかなり急な下りだが階段と木道で整備され歩きやすい。
 見下ろす光景はまさに黄金の世界。右も左も見事な紅葉&黄葉。今までの疲れを忘れカメラはフル回転。
 
紅葉の行者コースを下る
まるで友禅の世界
 
 紅葉の林を抜け明るい元谷へ下る。北壁を背に元谷小屋が見える。ここを訪れるのは会の先輩長久さんの追悼登山以来15年(?)ぶりだ。
 かってこの小屋(建て替わっているらしいが)に集う岳人集団(元谷同人)があり長久さん、野村さんと共に参加していたMはその頃を思い出すのか、かなり懐かしそうだ。また県岳連主催の指導員検定試験を受験中、偶然発生した北壁の雪崩で急遽、救助作業に加わった事など改めて聞く。今はハイキングしかしないM、若かりし頃の活動の証は部屋の引き出しに残されたバッチだけだ。しばし元谷で思い出に浸り大神神社まで下る。無事下山を感謝しゆっくりと南光河原駐車場に帰り着く。
元谷小屋
 
 山旅の終わりに
 「今から2年半後、お前の誕生日が来たら2人合わせて150才、記念に上高地の帝国ホテルに泊まろうか」Mからそんな先の話を持ちかけられても、ずっと先の話。それに帝国ホテルなんて身分不相応な所に泊まれる筈がない・・・と思っていた。が何と速かったことか、アッと言う間の2年半。
 ここ数年は体調に自信が無く落ち込む事が多い日々だった。Mの一言はそんな弱気の私に夢を与えてくれたと思う。提案の帝国ホテルには泊まれなかったが、紅葉を楽しみながら懐かしい山に登り、お会いしたかった方を訪ねる事が出来た。2人合わせて150才、思い出深い山旅だった。
( 文:斉藤(滋)  写真:斉藤(宗) 斉藤(滋) )
 
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