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追悼登山(莇ヶ岳~三ツヶ峰~野道山)
日 時  平成25年10月20日(日)
天 候  曇り→晴れ
メンバー  【A班】村上、市橋、藤崎、関原、井之上、内田
 【B班】江本、竹之内(真)、竹之内(寛)、津田、西村(佳)
               
行 程  莇ヶ岳登山口9:00~鎖場分岐9:40~10:00莇ヶ岳(追悼式)10:30~11:40弟見山
(昼食)12:00~仏峠13:00~三ツヶ峰14:00~933ピーク15:00~15:40野道山15:55
~17:00野道山登山口~17:20駐車地点

 今年の4月に白馬岳で亡くなった今井と鮫島を悼むための追悼行事が計画された。
 前日19日(土)に山岳会事務局凡で追悼会が開かれ、翌20日(日)に故人両名に縁のあった莇ヶ岳で追悼登山が行われることとなった。
 今回の追悼登山の参加者は総勢11名で、前日の追悼会から引き続き参加した者も多かった。
 事前の天気予報では午前中の降水確率は高かったが、故人への思いが通じたのか集合時間には雨もあがっており、天候は回復傾向にあるとのこと。
 予定どおり莇ヶ岳登山口駐車場を9時に出発。登り始めてからすぐ急登が続く。
莇ヶ岳登山口
 山頂直下で鎖場ルートと巻道ルートの分岐があるのを鎖場ルートへ進む。
 分岐からすぐのところ、登山道の右側に一の鎖の終了点があり、左側に二の鎖の取りつき点があるが、せっかくなので長い方を登ろうということで、さらに進んだところにある三の鎖に取りつく。
 岩が濡れていたため、足元がずるずる滑る中、無事に全員登攀した。
三の鎖を登る
 鎖を登りきった莇ヶ岳山頂にて、石鎚神社の祠を借りて追悼式を執り行う。
 故人両名とも遭難事故の前月に莇ヶ岳から高岳までのボッカ縦走を行っており、故人に縁のある場所で二人を偲んで黙とうした。
 その後、三ツヶ峰までの縦走を行うA班と莇ヶ岳登山口に戻るB班に分かれて行動するため、A班の下山予定地である野道山登山口付近に車を回してもらうようB班に依頼。
追悼式で二人を偲ぶ
 莇ヶ岳から弟見山まで多少のアップダウンはあるものの、気持ちの良い尾根上の道が続く。
 花の時期にはカタクリが楽しめると聞いているが、紅葉の季節も素敵だろうと思う。
 故人との思い出に浸りながら黙々と歩くが、莇ヶ岳から弟見山まで1時間あれば着くと思っていたら、予想以上に時間がかかってしまった。
 山頂には我々の外には2名。いずれも莇ヶ岳方面からの登山者のようであった。
 お昼には少し早いがここで昼食とし、八木さん特製のお弁当を有難くいただいた。
     
弟見山にて昼食
 昼食後、弟見山から仏峠に向かって出発する。
 仏峠まで60分との標識があるが、実際にほぼ同じ時間を費やすこととなった。
 途中、熊の爪痕らしきものがついている木があり、ここが熊の生息域だと改めて実感する。
 急な坂を下りきったところが仏峠で、下山用の車を回してくれたB班が待っていてくれた。
仏峠でB班と出会う
 B班に別れを告げ、三ツヶ峰に向けて再び登山道に入る。
 なだらかな登りを繰り返し、958のピークを越えてしばらく行くと山頂に着いた。
 三ツヶ峰は別名を三ツ頭とも言うらしく、ピークが三つあるとのこと。ここからは十種ヶ峰をバックに徳佐盆地が一望でき、大変気持ちが良い。
 ゆっくりしたいところであるが、下山時刻を考え、小休止の後、すぐに出発する。
三ツヶ峰山頂
 三ツヶ峰から南西に伸びる尾根を野道山に向かって進む。途中、笹が被る箇所が何度も出てくるが、笹の下の道ははっきりしており、歩くのに支障はない。
 時折、ルート上に開ける南東方面の展望では、自分たちが歩いてきた莇ヶ岳から弟見山への縦走路を眺めることができるのが嬉しい。
 なだらかな尾根上の道を進み、分岐に突き当たったのを右に行けば、ようやく本日最後のピークである野道山に到着した。
 小ぢんまりとした山頂で写真だけ撮影し、暗くなる前に車まで着きたいと下山を急ぐ。
本日最後のピーク
 三ツヶ峰からの分岐まで戻り、そこから東に延びる尾根を進む。程なく道は尾根を外れ、何度も沢を横切るようになる。
 薄暗い植林地の中で急な斜面をトラバースするようにつけられた道は細く、足元が崩れることもあるため、なかなか気が抜けない。
 はやる気持ちを抑えながら道を急ぐと、荒れた林道となり、しばらく歩くと野道山登山口に出た。
 看板の字はほぼ完全に消えており、目を凝らしても野道山の文字は読み取れなくなっていた。そこから舗装道路を仏峠方面に歩き、B班が回しておいてくれた車に無事たどり着くことができた。
野道山登山口に着く

 今回、我々が歩いた莇ヶ岳から三ツヶ峰までの間は、今年の3月に今井と鮫島も歩いたルートである。
 気持ちの良い尾根を歩きながら、ボッカの強かった二人のことを思い、自分も二人と一緒に歩いている気持ちになった。
 どんな山にも誠実に取り組んでいた二人は、その人柄と行動力で皆から愛されていたが、これからも皆の心の中に生き続けることだろう。
文・写真:内田
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