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紅葉と温泉を訪ねて 東北のんびり山旅(後 3)
日 時 平成21年10月2日〜10月17日 
メンバー 斉藤宗 斉藤滋 娘N(9日に合流) 
 10月15日(木)

  原の小屋(6:00)〜 山の鼻(8:35)〜(11:15)至仏岳(12:00)〜(14:30)鳩待峠(15:10)〜 水上温泉(16:55)

 
 辺りが明るくなると同時に 弁当を受け取り出発。「木道が滑りますのでお気を付けて」の言葉あり。
早朝スタート
 確かに木道は霜が氷り、水平部分でも滑る。朝霧の中 変わりゆく回りの景色を楽しみたいがそれどころではない。よそ見をする時は立ち止まる。 霧の中あちこちに 大型三脚付きのカメラを構えた写真愛好家の姿がある。
尾瀬ヶ原の霧
後ろは燧ケ岳
 竜宮の十字路を過ぎると 人の姿は少なくなる。3年前の夏の早朝と同じ静かな尾瀬ヶ原である。
 今回の東北の山旅ではあちこちの 湿原を見てきたが、尾瀬ヶ原の広さが最大と思う。中田代あたりでは前(至仏山)見て、後ろ(燧ケ岳)見て、横(景鶴山とダケカンバ・ 池塘など)見て大忙しである。
 ここらあたりは霜が解けかかり ますます滑り易い。霜の時期の木道は柔らかい靴底のほうが良いかもしれない。
至仏山が近くなる
 牛首十字路手前のテラス・ベンチが新しくなっていたのでここで朝食をとる。天気はまずまずで至仏山の登山道が良く見える。
 山の鼻に近ずくと人が多くなるが、登山者は以外と少ない。
 山の鼻で小休止後、至仏山に向かう。樹林の中 急坂が続き高度を稼ぐ。樹木が低くなると朝日も当たり明るくなる。
 後ろを振り返ると 尾瀬ヶ原・周辺の樹海・さらに燧岳と素晴らしい景色が見渡せ、一見の価値がある。自然林の良さを再認識する。
燧ケ岳は東北最高峰
 至仏岳への登山道は蛇紋岩が露出して滑り易い。確かに岩にはアイゼンの爪跡が深く残っている。
 柔らかいので摩耗しやすいようだ。
 横板の階段急坂が長く続き、Gが遅れ気味となる。何度も体重を減らせと言ってきたが聞く耳を持ってない。 (後でGはNから「お母さん 頑張って」と励まされ今までと反対。こんなことは初めてと言っていた)
 頂上手前は時計回りに廻り込む。今日はここから富士山は見えないが立ち止まり後続の二人を待つ。
 ヘリが何回も木道用資材を 鳩待峠から尾瀬ヶ原に運び込んでいる。人が少なくなるいまから雪が降る前まで、木道の補修をするのだろう。
 3人揃って頂上に達すると そこには沢山の登山者。ほとんどが鳩待峠からだろう。
至仏山頂
 四方を見渡すと 百名山のオンパレード。GがNにひとつひとつ説明している。
 しかしNは弁当に本気で 一応頷いているが すぐに忘れそう。 しっかり食べて鳩待峠に向け下山開始。
至仏山頂からの下り
これ蛇紋岩よ
 こちらも蛇紋岩がごつごつ有り、小至仏山を過ぎるまで気が抜けない。
 オヤマ沢田代からは緩やかで歩き易くなる。まわりの紅葉に目を向ける余裕もでる。
 しかし結構な距離で疲れも覚える。「こんなに 長かったかね〜?」 前を行くGは トレッキングポールにすがって歩いている。
 Nが「お母さん まるで戦国時代の落ち武者みたいよ」と表現する。確かにボロボロである。
お母さんはヨレヨレ。N美の絵
尾瀬トラック図
 鳩待峠には14時半到着。帰り支度をして 走り始めたら15時過ぎ。
 津奈木橋までの道は紅葉真っ盛りで夕陽に映え 歓声の連続。
 一気に下るのが勿体ないが 狭い道なので走り続ける。助手席のNにデジカメのシャッターをどんどん押してもらう。
 プリントできる画像は残らないが、テレビに接続すれば雰囲気は味わえるだろう。
 今夜の泊りは 旅の終わりの宿ということで 水上温泉に予約済みである。山旅に不慣れなNと合流後は 車中泊・テント泊を避けたので 経費もかさむ。
 今日は広々とした温泉でNも思い切りシャンプーしただろう。(尾瀬は入浴剤・シャンプー禁止) 湯上がり後の夕食では 予定の山に無事登れたことを祝し生ビールで乾杯する。
水上温泉の夕食スタート
 明日は少し朝寝出来そうだ。
 10月16日(金)

   水上温泉(9:00)〜 関越道 〜 北陸道 〜 名神 多賀SA(17:00)
 
 ゆっくり休みゆっくり出発。2日かけて宇部まで帰ればよいので気が楽である。
 車の少ない北陸道を使い ひたすら西へ。
 富山あたりでは Gが「雪の剱岳が見える。すごーい!」 「 薬師岳も雪よ。」と騒いでいるが、筆者は運転中でよそ見できない。 Nは出発後からずっと熟睡中。
 ほどほどの距離を走っては休憩を繰り返す。琵琶湖畔の多賀SAについた頃 夕方になる。
 渉外係のGは ここの宿泊所に走る。金曜の夜 予想通り満室。N合流後 最大のピンチ(?)となる。
 Gはこの広いSAを歩きまわり、奥まった静かな駐車スペースを見つける。すぐ傍は芝生のスペース。 「そうだ ここにテントを張り 余分な荷物を入れよう。なんとか3人 車中泊が出来る」決まれば早い。
 3人で支度し レストランに向かう。 「宿泊代が浮いたから その分美味しい物が食べられるね」とG。だから我が家は 金が貯まらない。
 愛車デリカD5で充分とは言えないが 大人3人なんとか手足を伸ばし 長旅の最後の夜を過ごす。
 10月17日(土)

  名神 多賀SA(5:30)〜 吹田JCT 〜 中国道 〜 山口南IC 〜 自宅(15:50)
 
 熟睡できて すっきりとした目覚め。早いうちに京都〜吹田〜西宮の混雑区域を通過しようと 3人が協力して荷物を片づけテントをたたむ。
 まだ暗い5時半に出発。しかし名神高速道は長距離大型トラックの爆走時間帯で トラックに囲まれ神経を超使う。
 逃げるように追い越しても追い越しても 爆走トラックの群れは続く。 手の汗をズボンで拭いているのを助手席のGが見て 心配そうだ。そんな中Nはまた寝てる。
 西宮あたりで 交通事故による渋滞にかかる(ここらあたりでいつものこと)。しかし今の筆者には休憩に等しい。
 やっと拡幅された赤松SAに着き朝食とする。
 中国道に入ると車は少なくなり のんびり走れる。
 大佐SAでも休憩。この旅のスタート時に 上り側のSAで食べたホルモン焼きウドンが おいしかったことを思い出す。
 七塚原SAまで帰って来て もう少しという気分になる。(時々比婆山系に来ているからだろう)
 吉和から鹿野あたりの道路脇の樹木は紅葉してきれいで 中国道はいい道だと思う。
 16時前 自宅に帰りつく。
 往路の2日間で1700km 復路はあちこち廻ったので 総走行距離は4200kmに近い。
 素人が一人で運転し 旅は無事に終わった。
 今回の東北行きは 度々外国旅行をした人から「日本の東北の紅葉が世界一と思う」と聞かされ 自分も東北の紅葉を 一度見てみたい! と思った。
 自分で車の運転が出来るうちに・・・と思うと あまり考える時間は無い。Gには「我が家にとって5年に一度位の旅だ。行こう!」と告げ実現できた。
 Gと2人だけなら 車中泊がもっと出来ただろう。Nと合流後はそうもいかず宿泊まりになり やりくりも大変だっただろう。 しかし Nのおかげで空中分解せずに 16日間の旅を続けることができた。
 ガイドブックや雑誌で見た ”目にも鮮やかな紅葉!”とまではいかなかったが 家族3人それぞれが思い出を残せた。
 決心して 良かった!と思う。  完
( 後半文・斉藤宗 )
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