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紅葉の栗駒山(宮城県/岩手県/秋田県)
 
 
苔花台(岩手県側)からの紅葉
 
日 時  2022年10月12日~13日
天 候  12日  曇り時々晴れ  13日 曇り 
メンバー  斉藤(宗)  斉藤(滋)
行 程  10月9日
宇部自宅(8:30)~中国道~舞鶴若狭道 三方五湖PA(16:50)車中泊
 10月10日 
三方五湖PA(7:00)~北陸道~磐越道~東北道 菅生PA(17:00)車中泊
 10月11日
菅生PA(7:30)~若柳金成IC~県道4・国道457・県道42~いこいの村栗駒跡地駐車場(13:30)車中泊
 10月12日
いこいの村栗駒跡地駐車場(5:00)~シャトルバス~イワカガミ平(5:15-5:55)~東栗駒山~栗駒山(9:50-10:30)~産沼コース~須川温泉(13:50)泊
 10月13日
須川温泉(5:00)~産沼コース~栗駒山(8:40-9:10)~中央コース~イワカガミ平(10:50)~シャトルバス~いこいの村栗駒跡地駐車場(11:10)
 コロナ禍が鎮まる気配は無いが10月11日から全国旅割が始まる。だが大海山で倒木処理中に転倒し強打した脇腹の痛みがなかなか取れない。沢登り講習会で傷めた右足甲の痛みがようやく薄れて来た所だったのに嫌になる。「怪我のデパート」とMに言われたが返す言葉も無い。幸いにも骨折は免れたので主治医のMt先生の指示通り簡易コルセッを装着し安静の日々を過ごす。大海山の常連さんが次々紅葉の山へと出かけられ、半ば諦め気分で過ごしていると少し痛みが和らいで来た。Mt先生から「無理しないペースで」と登山再開の許しがやっとでる。そんな折、2月に注文した登山靴が入荷したと連絡があり、更に気がかりだった車の免許更新(認知症テスト)も終わった。 これらは ひょっとしたら《紅葉の山に出かけなさい》という神様の思し召し? 諦めていた秋山に行けるかもしれない!  それならいっその事、東北まで足を延ばしたい。登りたい山は沢山あるが欲張らない(欲張れない!)で登れそうな山を急いで考える。M提案の宮城県側からの栗駒山もいいかもしれない。早速宿探し。12日に一部屋だけ空いているという須川温泉ホテルをゲット、スケジュール決定だ。
 10月9日
 山はもちろん道中も安全第一。今日の宿泊地を三方五湖PAと決め雨の中出発、予定通り到着する。なんとこの日は雨にもかかわらず花火大会開催で車中から頭上の大輪の花火を楽しむ。
 10月10日
 東北道の行ける所までと交代で運転、懐かしい景色を楽しみながら一日中走り続ける。
 10月11日
 栗原市のいこいの村栗駒跡地駐車場に到着する。マイカー規制の為、登山口のイワカガミ平まではシャトルバス利用だ。出発前、自宅で見た天気予報の風速24mとはこの風の事か! 数100台は停められそうな駐車場はこの悪天にもかかわらずほぼ埋っている。市の職員さんが忙しそうに(寒そうに)対応中だ。こんな日にも登る人がいるんだと驚く。降雨量《O》なのにCランクで嵐のマークだった予報が納得できる。今夜はここで車中泊、吹き飛ばされないように駐車場所を慎重に選ぶ。17時過ぎ大方の車が去った後のお仲間は5~6台。羽毛布団を持ち込んだので寒くはない。
 10月12日
 朝いち5時のシャトルバス(往復500円)に乗る。イワカガミ平に到着すると同乗の皆さんは殆ど中央コースへと行かれたようだ。我が家はここで朝食他、出発前の準備をする。あれ!ノンビリしすぎた?もう2便が到着だ。やはり皆さん中央コースへ。だが我が家は右に外れて東栗駒コースへと進む。今回で3度目(Mは4回目)の栗駒山だが宮城県側からは初めて、いつかテレビで見た赤、黄、緑が織りなす紅葉真っ盛りの景色に憧れていた。前回岩手県側から登ったのはもう13年前、ガスに包まれた山頂標識の前で撮った記念写真が思い浮かぶ。

 東栗駒コースの事前勉強をしないままのぶっつけ本番、予想しなかった沢(新湯沢)が現れ緊張する。大小の岩を縫いながら流れの中を登って行く。一跨ぎの小さな流れでさえ滑って転んでしまう身のこなし、ここは細心の注意で行くしかない。岩の間をスイスイ進むMを必死に(ノロノロ・・・)追いかけていると、途中から男性が1人ピタッと付いて来られる。思わず「どうぞお先に」と頼んだが「いや、付いて行きますので」と断られる。沢でのルート選びに慣れておられないのか? 渡渉が終わると、あっという間に行ってしまわれたが。
新湯沢を慎重に登る
 紅葉には遅かったのかテレビで見た鮮やかな景色は現れない。お天気の所為もあるのだろう。東栗駒への稜線上は予報通りCランクの風が容赦なく吹きつけて来る。その昔、大朝日連峰の以東岳に登った時と同じ程度だ。あの時教えられた耐風姿勢を思い出す。ピッケルならぬストックに自ずと力が入る。風力に負けうっかり転んでしまえばそこらじゅうの岩で即骨折しそうだ。体勢を低くして必死に進み灌木帯に逃げ込みホッとする。
ガスと風で厳しい稜線
 ほんの数人しか出会わない寂しい登りも中央コースとの合流で混みあって来た。山頂は近そうだ。ラストスパート!(傍からみればノロノロ)見覚えのある大きな山頂標識が見えて来た。今回もガスの中だ。風も強い。
何も見えない山頂
 灌木に囲まれた絶好のお休み処を先客に譲って貰いゆっくりと寛ぐ。後は今夜の宿(岩手県側の須川温泉)に下るだけだ。過去2回は天馬尾根(秋田県)を歩き秣岳を経て須川湖登山口へ下ったが、残念ながら今回は無理と諦める。前回の記録を見ると山頂からホテルまでの所要時間は6時間。今の実力では6×1、5=9時間はかかる。下山後のアスファルト道の登りが特にきついだろう。13年の時の流れをしみじみ感じる。ホテルまでの最短須川コースは現在通行止めとの事で(有毒ガス発生の為)初めての産沼コースを下って行く。風も次第に治まり所々青空も覗いている。ようやく栗駒山らしい景色が現れる。
ようやく青空が覗いて来た
岩手県側の紅葉
 須川コースと合流し名残ヶ原まで下って来る。静かで広々とした懐かしい佇まいだ。あの頃とちっとも変っていない。
名残ヶ原を行く
 下るにつれ、記憶の光景との違いに驚く。須川温泉の前は登山者の姿はほとんど無く、観光客が行き交っている。炊事場は残っているのか? ふと初めてここを訪れた日(16年前)の出来事が甦る。あの時は登山前日の車中泊だった。野外の炊事場で夕食用の米を研ぎ炊飯役のMに飯盒を渡したが(美味しい炊き立てご飯を期待して)その内怪しい臭いが漂い始め、慌てて飯盒の蓋を開けると上はおかゆ、底は真っ黒・・・。到底食べる気にはなれない大失敗作の出来上がり! それもその筈、水加減をしていなかったのだ! 研ぎ役は洗うだけ、炊飯役は炊くだけ、大事な水加減はお互い相手がやる事と思い込み散々な結果となってしまった。→ 当然家庭内大戦争。高原といえど暑さ真っ盛りの夏の夜、車中は更に熱気↑最悪の夜となった。だがあの頃は若かった(今より)殆ど眠れなかったのに翌日、栗駒山登頂後、天馬尾根を下っている(この話はその後何度か再燃し未だ決着はついていない)
須川温泉に到着する
 10月13日
 5時ホテルを出る。山頂まで昨日のコースを登り返す。ホテルで朝食をとれば出発は大幅に遅れるだろう。とは言え天馬尾根ならいざ知らず、そこまで早く出なくても、十分バス最終便に間に合う筈だ。だが、昨年秋の剣山~天狗塚縦走時のアクシデントが忘れられない。切羽詰まったあの時の思いがどうしても《早立ち》へと追い立ててしまう。美味しい朝食がおむすび弁当になったが、焦ることなくゆったりとした気分で登り返しが出来るだろう。

 4度目の山頂もまたまたガスだ。本当についていない。だが無事山頂へ登り返せた事が嬉しく残念な思いも薄らいで行く。展望は無いが昨日と違い風も無い。東栗駒コースよりは歩きやすい中央コースをイワカガミ平まで下る。運よく発車間際のシャトルバスに乗り込め、デリカの待つ駐車場に帰り着く。
石畳の中央コースを下る
  予想より随分早く帰り着き、次の焼石岳への移動が楽になりそうだ。出発の準備に追われていると「早かったですね。」と声がかかる。若い栗原市の職員さんだ。わざわざ車まで寄って来られ「心配しておられたから、気にかかっていました」と言われる。驚いた。一昨日ここに到着の折、念のため訊ねた《イワカガミ平発最終便のシャトルバスに間に合わなかった場合の対応(ゲート閉鎖後のタクシー通行等)》を覚えていてくださったのだ。 あんなに沢山の人がいたのに! 一目で後期高齢者と分るペア、反対側にある岩手県のホテルから最終便までに帰って来れるか・・・と心配してくださったのだ。本当に有難い。ホンワカ胸が温まって来る。栗駒山はガスっているが、私の胸の青空は広がって行く。「有難うございました」以外の言葉が中々見つからない。いつの日かテレビか雑誌で栗駒山に出会ったら、優しい職員さんの事、きっと懐かしく思い出すだろう。
 
( 文:斉藤(滋)  写真:斉藤(宗) 斉藤(滋) )
紅葉の焼石岳(岩手県)→ 
 
 
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