日韓親善韓国縦断の山旅に参加して
(阿知須HC山歩 上重一枝)
 

7月に行ったばかりなのに、また、韓国に行きました。今回は宇部山岳会の日韓親善韓国縦断のフィナーレ釜山へ600km踏破のサポート隊として参加しました。先発隊は10月4日に既に出発しており、私達9名は10月9日に下関港から先発隊に合流するために出港しました。

@参加した人

 先発隊は前回私達を韓国に連れて行って下さった料理の注文が上手で、やりくりが、うまい米澤さん。彼のお友達で広島や岡山から参加された万行さん、佐藤さん、仲谷さんと、お酒を飲むと心臓がパクパクする前野さん、阿知須出身の方です。愛する妻を10日も一人で宇部に置いておけないと二人で参加された岡本敏さん、愛子さん御夫婦。すごい体力の持ち主で元気な、お姉さま山田さん、ひょうひょうとした風貌がいい味を出している神田さん、今度韓国に友達を連れてくる旅行の下見?のため、途中で姿が見えなくなった女性に優しい紳士、竹内さんの10名です。
 サポート隊は下関港でおでんを食べるのを恒例とされている、美味しいものに目のない矢富さん。韓国語のうまい阿知須出身の西山さん、宇部山岳会が韓国との交流を始めるきっかけになった草分け的存在の藤井さん、名カメラマンの山根さん、頼もしい会計係の河野さん、おなかのゆれが素敵な落合さん、私の同級生のお姉さま香川さん、香川さんのお友達で山を飛んだ事のある小林さん、私と二晩も一緒にダブルベッドで寝てしまった4人の子供達がいるお母さん、河村さんの10名です。

A600km踏破のフィナーレ

 今回私達が参加したのは、梵魚寺(ポモサ)を登山口とする金井山から釜山港までの踏破です。私は釜山港に待ち受けた米澤さんに有無を言わさず連れ去られ、地下鉄とバスに乗って梵魚寺で先発隊と合流しました。金井山の頂上の一番高いところは姑堂峰(801.5m)です。
 ピークより望む頂上は無数の大きな岩で出来ており、実際登ってみると岩の間は狭く傾斜があり登るのに大変苦労をしてスリル満点でした。最後の岩場は大きなお尻がなかなか上がらず、上から神田さんに引っ張って貰い、下からは誰か分かりませんが押して貰い、やっと登る事が出来ました。後で米澤さんが大きなお尻をデジカメでアップで写していました(ニャロメー)。
 頂上から見る眺めは、長い石組みが続いてその間には城門が残っており、遥か遠くまで素晴らしい風景を見せてくれました。かつては韓国最大規模を誇った山城だそうです。
 昼食の巻き寿司を食べていると、逆コースから登ってきた後発隊の姿が見えてきました。彼らと一緒にきた金さんが、私たちの為に一人分ずつ、袋に入ったミカンと栗を下さって、リンゴやマクワ瓜と共に食べて豪華なデザートになりました。


 後発隊は私達がきた道を下り、私達は彼等が来たコースを下って、北門を経て2時間、東門に到着しました。宿までは舗装道なので、疲れた足にはこたえます。また、ホテルについてからの時間のあわただしさ、食事(外食)、風呂を済ませて、明日に備え早々に休みました。他の部屋ではまだ宴会が続いていたようです。10月11日、600km踏破の日です。藤井さんも今日から参加され既に釜山九徳走友会と金さん夫婦も宿の外で待機されており、いざ釜山港を目指して出発!釜山は大都会ですが、信じられないくらい自動車がスピードをだしています。交通整理も走友会の方が一生懸命やって下さり、お陰で事故もなく8時40分にホテルを出発して、中区区役所を表敬訪問したのが14時35分、挨拶や記念撮影の為に1時間滞在して、釜山港に着いたのは16時10分、ここで最後の記念撮影、そして岡本敏さんの音頭で万歳三唱をしました。
丁度、修学旅行に来ていた韓国の女子高生たちが、ヤンヤの喝采をしてくれ私達のフィナーレを祝ってくれました。600km踏破を祝して用意された横断幕や、旗は走友会の方がわざわざ作って下さったものでした、有難うございました。(カムサハムニダ)。初めから600km歩いた米澤さん、竹内さん、岡本さんお疲れ様でした。(スゴハショスムニダ)。

B食事

 今回、初めて食べたのは、どじょうを玉ねぎと一緒に韓国風に味付けした鍋と網の上で白焼きしたものです。飛び跳ねるどじょう(ヤツメウナギのようです)にあわてて蓋をかぶせて、火が通った頃を見計らって食べましたが、結構いい味です。私は白焼きの方が気に入りました。
 勿論キムチも沢山出してあります。朝食に食べたアサリのチゲも干しえびと貝のだしがきいて良い味です。私はご飯をその中に入れて全部たいらげてしまいました。韓国の最後の夜は以前行った事のある山庭と言う焼き肉屋さんでの宴会でした。
 釜山九徳走友会の皆さんと金さん御夫婦との時間は、歌あり踊りありで、特にアリランは落合さんのお腹が大活躍です。腰の動きで揺れるお腹がとってもチャーミングで面白く、日本人で彼の右に出る人はいないのでは?と思っています。骨にくるくると巻いてある味付けしたカルビも美味しくて、アルミで作った容器の中のニンニクも香ばしく、ほっくりして口の中にどんどん入っていきました。
 次の日の朝は、チャガルチ市場でのお刺身の朝食でした。ヒラメの刺身やビールも沢山食べ、飲んで豪華な食事になりました。初めて食べたホヤも美味しく、口の中でくっ付くタコの刺身も食感を充分楽しみました。そこで会計を済ませた河野さん、「これでお金は全部無くなりました。」と会計報告がありました。「帰りのフェリーでのビール代もありません。」しかし、よく食べよく飲んで皆、満足!満足!会計担当お疲れ様でした。

C韓国のお宅訪問

 金さん御夫婦のお宅に女性6名と岡本敏さんの7名が昼食のお招きを受けました。韓国では高層のアパートがニョキニョキと沢山建っていますが、その中の一棟で海の見える高台に、金さんの家がありました。以前は27階に住んで居られたそうですが、風の強い日はよく揺れるので怖くなって同じ棟の4階に引っ越されたそうです。

 初めて韓国の方の家に伺って興味深々、ひとつひとつの部屋を全部見せて下さり、おまけに立派なタンスの中のお布団まで見てしまいました。広いダイニングキッチンとお二人の寝室があり、別にそれぞれの部屋を持たれており、金さんは日本語の勉強を、奥様はパソコンをして自分の時間を過ごされているようです。お昼ご飯に出されたお料理は全部奥様の手料理でした。テーブルいっぱいに並べられたお料理の中にマツタケと野菜の炒めものがありました。
 先発隊の人たちから、マツタケを山ほど買って食べたと聞かされていましたが、その時少し金さんに差し上げていたのを私達の為に料理をして出して下さったのでした。敏さんが香りを大切にする日本人のマツタケの食べ方を話されていましたが、ポン酢で食べる食べ方は、あまりにもあっさりしすぎて、韓国の方には物足りないかもしれません。それに韓国の人は酸っぱいものが苦手のようです。
出されたキムチも手づくりで、キムチ用の部屋でキムチ用の冷蔵庫を使って作られた白菜の水キムチは、しゃきしゃきと歯ざわりもよく、美味しく頂きました。キムチの部屋の奥には焼き物のかめが4つ位あり、冬には白菜のキムチが沢山漬け込まれるのでしょう。
 日本で言うと甘酒?冷たくひやされた甘い飲み物は器の底にご飯が沈んでいて、干しナツメと松の実が浮かべてありました。少し麹の香りもします、昔はジュースのかわりによく飲まれていたそうです。河村さんは熱心に作り方を教わっておられ、市場で材料を買われたのですが、上手にできたでしょうか?後でお会いする事があれば聞いてみたいと思います。
 食事の後は可愛いお孫さんの写真を見せていただいたり、おしゃべりをして楽しい時間を過ごしました。お二人ともシンプルに、しかし、吟味された家具を必要最小限に揃えて暮らしておられ、我が家の雑多な物が多い生活が恥ずかしくなります。
また、見送りを受けて帰るときに気づいたのですが、ドアーにはカギが4箇所もあり危機管理も充分されているのが印象に残りました。
 韓国では夫婦別性です。生まれた子供は夫の姓を名乗るのだそうです。今、日本では一人っ子が多くなっていますが、別性だと結婚する時どちらの性にするのかも揉めなくていいかも知れませんね。韓国ではそう言う事で別性にしているのではないようですが・・・。
 金 化守さん、秋子さんご招待有難うございました。そしてご馳走さまでした。

D韓国語

 以前、韓国の山でご一緒したころ、岡本愛子さんはまだ韓国語を習い始めの頃でした。しかし、今回はかなり上達されて楽しそうに走友会の奥様と話をされていました。私も韓国語を習い始めました。目的は韓国の人と話しをして交流が出来るようになること、夫と韓国を旅行すること、韓国の山に友人を連れて登ること、美味しい料理が注文出来るようになることです。

                          平成16年10月21日 記
 

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